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言葉の巡礼/京都

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  早朝からカツを揚げる。夢の中で私はどこか遠い異国のカフェにいる。隣にはカツとじがのった蕎麦を啜る老紳士。あんまりに美味しそうで、目覚めた瞬間に私も同じものを注文すべきだったと後悔が襲う。油を扱うにも出汁を取るにも快適な季節が訪れて嬉しい。

 

 これまでの大学生活はヨナが大魚に飲み込まれたように、暗いお腹の底を手探りで独り進む感覚に似ていた。3年目にして喫煙所と講義教室の往復運動に終止符。神学英語のクラスが同じ、年下の友人に読みたかった本を貸してもらう。「ラディカル・ラブ クィア神学入門」の冒頭でパトリック・S・チェンは、ラディカル・ラブを「この世界に存在するあらゆる境界線を消してしまうほどの極端な愛」と定義している。心が震えた。こんなにも興味深い学問に足を踏み入れられた幸福で、海は割れ地には祝福の鐘の音が鳴り響く。

 

 夕方からは夏の初めに知り合った他学部の友人と、ガボールで煙草を燻らせながら近況報告。タンパク質にメタメタに殴られているみたいな分厚さの玉子サンドを食べながら、休暇中の生活や冬の旅行の計画を話していた。過去の話をしながら、そのすぐ横で未来を作ることのできる関係性は愛おしい。月末に中華を食べに行く約束をして、改札で別れる。

 

 肌寒さと衝動で始めた電子文通に沢山の人の暮らしの一部が寄せられて、とても嬉しい。優しさで満たしてくれる大切な人たち、明日も光の方向へ。