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言葉の巡礼/京都

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 久方ぶりに会う友人は、イッセイミヤケのプリーツパンツがよく似合っていた。神秘的な力(=絶えず流れる音楽と人をダメにするソファ)で帰巣本能を惑わす彼の魔窟から、何とか日付が変わる前に抜け出す。帰宅しクィア・アイを泣きながら観ていると朝。

 

 岡崎の蔦屋書店でBenjamin Zephaniahの小説を探していると、強烈に牛乳が飲みたくなる。同じ時間に同じ量の無調整豆乳を飲み続けてきた毎日に、突如として射し込む変化。帰りしなにイズミヤで一番シンプルなパッケージのものを購入する。栄養分の押し売りが怖かったから。骨密度やカルシウムに関する過剰なアピールに、亡くなった伯母の骨を思い出した。その人生の大半を投薬治療に捧げていた彼女の骨は、骨壷の中で薄紅色の珊瑚のようだった。今日は彼女の誕生日、私の骨は死んだらどう人の目に映るのだろう。ベランダで煙草を吸いながら、気がつくと一本空けていた。

 

 今日まで牛乳を飲んでこなかったのはお腹を壊してしまうからだった、骨の髄まで被虐嗜好。