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言葉の巡礼/京都

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 昨日の私、強い意志を託してくれてありがとう。目覚めて5秒も経たぬうちに、水晶鶏づくり。寝惚け眼の頭にSigur Rosの曲を刺しながら、胸肉をひたすらに削ぎ切りへ。片栗粉をまぶし、沸き立つ鍋に入れてゆく。茹でる過程の素晴らしいところは、火が通ると自ら浮き上がってくる点。人の内は読めない、胸肉は食べ頃に自ら姿を現す。

 

 茹で上がった胸肉たちを冷水に晒すと、透き通った衣をまとう彼らは手の内で自在に身をくねらせる。ぱちゃぱちゃと彼らを洗う、恍惚、崇高、甘美。足が台所に根を張るまで、できることなら触っていたい。

 

 所は変わり、お腹が痛い。恐らくは水晶鶏にかけすぎた辣油のせい。22年間この生を与えられているけれど、未だに適切な辛さの分量がわからない。そしてその過ちに気がつくのは、トイレの白い個室の中。腹痛が酷いとき、きまってする儀式がある。頭の中に丸太のように太く、到底食べられそうにないバームクーヘンを用意する。それを端からペリペリと剥がしてゆく。バームクーヘンとの孤独な対話、今日は6.5本を無に帰したところで痛みは治まった。

 

 就活を始めた人たちに将来やりたいことを訊かれたら「乳首が隠れるまで髪を伸ばしたい」と答えるようにしている、忍耐と挑戦。